顧みますれば、父・勝寿朗が黄泉の国へ旅立ちまして早、四分の一世紀が過ぎました。
関東大震災の後、関西(兵庫県芦屋市)へ移り昭和初期より、大阪、盛岡、久留米、大牟田等へ、稽古に出向き、まさしく席の暖まる間もない程、稽古に明け暮れ、弟子に教える事が楽しく苦にならなかった様でした。
現在は、稽古の時間をある程度定めておりますが、昔人間の父は、時間に関係なく、一撥でも出来る迄、前には進まず繰り返しておりました。したがって後の方は、言う迄もなく、人様のお稽古を聞き、自分の勉強になった筈です。戦前は楽な生活をしていた様ですが、大東亜戦争勃発後は、着物も着られず、戦闘帽にゲートル、軍靴で、足にはマメが出来、大変苦労をしたようです。食べる物も配給制で和歌山の弟子の所へ、リュックを背負い、買出しに行き、帰りの列車が超満員で、振り落とされそうになったともききました。
終戦の八月、芦屋の家は空襲で焼け、防空壕の中に辛うじて入れていた着物や浴衣を持参し、農家へ出かけ米、果物との物々交換して帰る父の姿を見て、子供心に、戦争はいけない事だとひしひし感じました。
イラクに早く平和を望みつつ、今年は戦後六十年、阪神大震災十年、昨年の豊岡の水害、中越地方大震災、水害等々、事件や災害が相つぎ、先の読めない時代ではありますが、健康で長唄を続ける事が出来、感無量です。
昔、父がよく言っていた事を三つ紹介したいと思います。
一、決して無理をするんじゃない
二、出しゃばるんじゃない
三、地位は自然に出来るものだよ。と、
今にして思えば、故勝寿朗愛弟子の故勝郎右衛門さん、故勝禄さんが師の志を受け継ぎ現在の関西杵勝会の土台となっているように思われる昨今です。
|